何に祈るのか

今日もお天気です。

 


小さなことに 幸せを感じられるひとは

周りを幸せにする人だと思います。


祈りをするようになって、感謝することが増えました。


また、祈ったことで事態が良くなったり、自身の内側の喜ばしい変化を見つけるたびに

必ず叶う。良くなる。と、確信を持って祈るようになりました。


祈る時は、すでに叶ったと思って祈るように

と、聖書に書いてある通りです。


実際に、すぐに状況が好転するのを何度も経験しました。 

 

わたしは古い団地に住んでいます。

上の階にお孫さんが来ると、走り回ってそれはそれは賑やか。ほぼ毎日来ています。

ハッキリいって、うるさい。

 

その他にも、騒音を出す方がいて、たまにではなくて毎日のことなので、いい加減ストレスが溜まっていました。

 

気になり出すと だめですね。

引っ越しを考えるほどでした。

 

2週間ほど前、祈ってみよう!と思いました。

そうしたら、

 

上の階でさっきまで 飛んだりはねたり、走り回っていたのが、急に外に出て行って静かになりました。

早い!

それから今まで、イライラするような騒音がありません! 

 

凄い‼︎

本当に凄いこと!感謝しかありません。

 

 

祈る対象は?何に祈るのか?

 

ここを間違えてしまうと、惑わされたり、自分の我や欲望を満たすために 祈りを使うようになってしまうのではないでしょうか。

 

世の中には低級霊や動物霊などもたくさん存在しますから。

 

祈る対象は、ただ一つ。

この世界を造った 本物の神さまに祈らないといけません。

 

大いなる存在とでもいいましょうか。

わたしは何の宗教にも属していません。

ただ、自分自身の魂が求めるまま、そして治療院で導かれるように聖書と出会い、聖書の神さまと出会いました。

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キリスト教なの?といわれたりもしますが、違います。

誰か教祖がいるわけでもありません。

自分と神さま 一対一の取り組みです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは自分から

自分なんて

 

という言葉、使っていませんか?

 

自分なんてどうせダメだ

自分なんて幸せになる資格がない

自分がそんな高価なものを手にしてはいけない

 

本当は豊かになりたい と思っているのに、そう思うことに罪悪感を感じさせている。

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魂の治療によって、充分満たされたつもりでいたけど、深層心理には、「わたしなんて…」という卑屈精神がありました。


叶えたいことを紙に書くと良いといわれ、2年くらい前から、年始に書き出しています。

書いてみて気付くのですが、自分自身が、「そんなの無理だよ」(*´ω`*)  と、ハナから"出来るわけない" 認定スタンプを押してしまっています。

収入アップしたいと思っているのに、思い切った金額に出来なくて

「自分ならこの程度かな…」

…なんて、もはや願望ではない。

 

【脳内会議】

「月収100万円だぁ?何言ってんだ!」

「えっ?あっ、じゃぁ50万…?」

「無理無理無理!バカじゃないの?」

「・・・・そうだよね…」

    (不適切な発言お許しください)


自分で 制限している。

そもそも諦めている。

 

こんな思考では、願望や目標があったって 達成出来るわけない!

 

魂の治療で、まず、自分が満たされないと他人に優しくすることなんて出来ないと教えてもらいました。

 

そのために、まず紙に書く。

とことん欲張って、自分のことだけを、考える。

そして、毎日それを見て、読む。

ただ読むのではなく、魂から叫ぶ。

 

はじめは罪悪感が出てきてしまうけれど、そのうち

「わたしも幸せになって大丈夫なんだ。願ってもいいんだ。」

と、思えるようになります。

そして、毎日祈っていると、感謝が湧いてきて、あらためて 今与えられているものへ 「ありがとうございます!」と言いたくなります。

 

受け取る側が、「わたしなんて」といっていたら、与えられようとしている恵みを拒否しているのと同じですよね。

 


もうすぐ2022年は終わりますが、今年やり残したこと、まだまだ諦めないで頑張ろう。

これからは、大きな夢を抱いていこう。

 

とっても希望に満ちてきました。

 

 

あの世とこの世の違い

こころに思ったことが全て丸わかり という世界だったらどうですか?


わたしは 恥ずかしくて 生きていられません


人には言えない

妬み、嫉妬の感情

自分を人より優れていると思う驕り

自分が一番でいたい

褒められたい

一目置かれたい

 


こんな、こころの声が

こんなことが、バレバレになってしまうなんて…

 

 

 

一般的に

こころの声は聞こえないし、見えない と思われています。

 

 


ほんとうにそうでしょうか??

 

 


では、死んで身体がなくなったら?

目に見えない魂だけになったら?


隠せるものがないから 全てばれてしまうんです。ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3 キャー

 

 

 

今だって、わからないだけで

 


実は、思いや意識は 相手にいっています。

言葉と違い、空間も超えて。

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治療院で、整体で身体をほぐしてもらうと、

身体から 身近な人の想いが出てくることがあります。

亡くなっている方の場合は"霊"だけど、生きているから"生霊"ですね。

 


ブーメランの法則ってありますが、

目に見えないものでも 自分が発したエネルギーには責任がある。

 


知らずのうちに発しているから、当人は全く無自覚。

その念を治療で浄化しても発信元が気づかない限り、送られてくるし、

逆にわたしが送ってしまっていることもあるでしょう。。。( ̄▽ ̄;)

 


既にお亡くなりになった霊は、光を見せて還るところを思い出してかえっていただきます。

 


この世には、死んだこともわからずに、彷徨っている霊やこの世に執着があって離れることが出来ないでいる霊が沢山います。

 


その方々を見てわかることは

ひとは死んでも 何もかわらない。

肉体がなくなるだけで 意識はそのまま。

 

死んでから 急に何かを悟ったり、わかったりするわけではないから、

生きているうちに、魂がしっかりと目覚めていないと と思いました。

必要なものは全部自然にある

スーパーで買った有機人参が、

冷蔵庫の中で溶けました。


こだわって有機を購入したつもりでしたので、ショックでした。

 

自然界で、植物は腐りません、枯れていきます。


なぜ腐るのか??

 

それは、肥料が原因だそうです。

 

自然界は、枯れた草花が次の命へと循環する

サイクルをものすごく長い時間をかけて繰り返しています。


畑では動物の糞を堆肥として入れますが、

畑に入れる量と、自然界では量が圧倒的に違います。


畑の野菜は肥料によって、大きく、たくさん採れるかもしれませんが、

繰り返し投与される肥料によって 栄養過多になってしまう。

 


野菜は腐るモノと思っていたけれど、

植物は腐らず、枯れるのが自然

そのことを知って、

そして 今回体験して、怖いなと思いました。

f:id:kishika:20221108161850j:image我が家のベランダで育てている人参

 

生活の全てにおいて、自然であることを求め

手を加え過ぎていないモノを選びたいけれど、現実的ではありません。

 

なるべく真実を知ってもらうこと

出来るだけ良いものを選ぶことで

生産者を応援したいですが、


危険だ!悪いものだ!と そこに焦点をあてるのではなくて

スーパーのお米も野菜も感謝していただきたい。


普段は旬のものを少し、有り難くいただく

そんな 素朴な生活を楽しむようになりました。


だから、友人が来た時など

たまにする贅沢が

とても幸せな体験になります。

 


人間も、人生の最後は枯れてゆくはずが…。

最近は 違うようですね。

 


そして、

我が家に人参の3本入りは多いのよ… (*´Д`*)

ほんとうに大変な時、頼るもの

昔は 常に怒っていました。

すぐ怒るし 怒ると手に負えない。

怒りながら、どんどんと腹の底から怒りが湧き上がってきます。


自分でも、わかっています。

非常にめんどくさい奴だと。


それなのに、どれだけ気をつけても変わらない。変えられない。いくら反省しても、自分を責めてもまたやってしまう…。


そんなわたしがどうして?どうやって変われたのか?

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治療で怒りを出せば出すほど、魂は軽くなりますが 段々と根深い癖や大きな闇に到達します。

 

大きな怒りや前世からのわだかまりを解いてもらった後は、

日常生活も 大きな怒りを実際に引きだされたり、人間関係で躓いたり。

自分が気付かなくてはならないことを教えてもらったり、向き合わなくてはいけないことに 向き合わざるを得ない状況に なっていきます。


この世の経験、実践こそが成長するために必要で、逃げたり避けたりは出来ないのです。

 

もちろん 逃げることは可能ですが、成長の機会を失う事になり、魂はそれを望みません。

 

わたしは離婚や職場での人間関係を通して

自分の傲慢さに気付きました。

また、言葉や表情など思いを表現することでのコミュニケーションの大切さを学びました。

 

渦中はたくさん傷つき、落ち込み、悲しみ…

ひとりで泣きました。


わたしにできることは何もありません。

傲慢だった自分を振り返り、ひたすら神様に助けてください。この状況を良くしてください。と祈りました。

 

その度に、自分の今までの行動の結果である事、自分を変えるために必要な事がおこっている、必ず良くなるから大丈夫!というメッセージのような 言葉が胸に浮かびました。

 

そして、必ず良くなると言う言葉の通り、

事態は良くなっていきました。

 

治療に通いながら、傷ついた心を癒してもらい

日常の出来事から 自分の心の汚さを見せつけられ、やっと 自分と向き合うことができました。

 

魂の治療は、身体やこころを癒し、

魂という根本治療をするもなのです。